小学校のころの先生の話。

先日、ちょっとしたきっかけがあって、ふと自分が小学生だった頃の担任の先生のことを思い出した。

私は、小学校のころから勉強はよくできた(自分で言うのもなんですが)。そして、ありがちな話だが、結構生意気だった(これは今もかもしれないけど)。
たぶん、「ちょっと勉強ができるからっていい気になりやがって」と思っていた先生も、まあそれなりにいたのだとは思う。
でも、その先生はそんなことは言わず、むしろいい意味で私を特別扱いしてくれていた(その先生にとっては、きっと一人ひとり“特別扱い”していたんだろうなぁ、と今になって思うが)。

その先生とのエピソードで覚えていることが3つある。

一つ目は、私が“置き勉”していた話。
小学校高学年に入って、教科書などが増えてくると、私はそれを全部学校に置いてきていた。理由は単純に、重たいから。そしてついでに、学校の勉強は別に家でやらないから、というのもあった。
他にも“置き勉”していて注意される子はいたが、私は別にそれをとがめられなかった。宿題は学校にいる間に終わらせていたし、時間割もきちんと前日の帰りに翌日の分を選別してまとめていた。
親との懇談では、「ここまでやるなら、まあいいでしょう」という話になったらしい。

二つ目は、テスト中に教室から出て行った話。これももちろん、「私が」である。
そのテストのときは、最初に先生が「90点以上取れる、と思ったら、そのままテストを提出して外に遊びに行っていいですよ」と言っていた。
それをそのまま受け取っただけ、という話ではあるし、先生も、別に「本当に出て行くと思わなかった」とは思っていなかったと思う。
だから別にその件で叱られた、ということではないが、しかしこの話を覚えている理由は、そのテストの点数が、実は90点ギリギリだったからだ。さっさと終わらせて、颯爽と外に飛び出していったわりに、である。
しかも、少しおまけをしてもらっていた。×でもよさそうなところを、減点ですませてもらっていた。先生も、だいぶ悩んだのかもしれない。
生意気な鼻っ柱をへし折るチャンスでもあっただろうに、先生は私のプライドに配慮する選択をしてくれた。
私がそれを「ラッキー」と思うような性格でなく、「手心を加えてもらっちゃったな」と思う性格だから、というところまで理解してくれていたのだろう。

三つ目は、先生の代わりに授業をした話。
私にとって、学校の授業は知っていることばかりであまり面白くなかった。先生もそれは心配してくれていたのだと思う。
だからなのだろうが、たまに先生は「先生はうまく説明できないから、代わりに小田に解説してもらおうか」みたいなことをおっしゃった。
おだてられて調子に乗った私は、他のクラスメイトに対して一生懸命説明したのを覚えている。それはきっと楽しかったのだと思う。
今でもなんだかんだで人に教えるのが好きで、こういう仕事をしているのは、その先生のおかげかもしれない。

個性を大事にする教育、というのは、結局のところ、引き出しの多さと懐の深さだと思う。
教育現場で昨今重要視されているそれが、なかなかうまくいかないのも、単純に難しいからだと思う。
自分もその先生みたいになれたらいいな、と思うことはあるが、まだまだ先かな、とも思う。


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