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冬休み特別日程のご案内(2014・冬 12月22日~1月9日)

数理学習研究所、個別指導は、冬休み期間中下記の日程で行います。
冬休み中のみのご参加も大歓迎です。

12/22
9:00~12:00
12/23 12/24
9:00~12:00
12/25
9:00~12:00
13:00~19:00
12/26
9:00~12:00
13:00~16:00
12/29 12/30
9:00~12:00
13:00~19:00
12/31
9:00~12:00
1/1 1/2
1/5
9:00~12:00
1/6
9:00~12:00
13:00~19:00
1/7

14:00~19:00

1/8
9:00~12:00
13:00~19:00
1/9

13:00~19:00

※ その他、12月28日(日)および1月4日(日)は通常通り14:00~19:00の時間帯で承ります。

※ 1月11日以降は通常通りの日程で行います。(通常日程のご案内

§ 形式
個別指導(同時に最大で3名まで)

§ 料金
入会費・年会費:なし

 小学5年生まで 2500円/時
 小学6年生・中学生 3000円/時
 高校生 3500円/時
 その他 5000円/時

(それぞれ、税別です。また、教材費は市販のものを使う場合、実費を徴収させていただきます。)

§ アクセス
豊島区南池袋2-47-6 パレス南池袋603

・池袋駅(JR,丸ノ内線,有楽町線,副都心線)からお越しの場合:徒歩8分
1) JR池袋駅東口、または、地下通路35番、または、43番出口を出る
2) 池袋駅を背に、大通りを直進(右側に交番がある大きな道です。少し行くと大きな交差点(東口五差路)がありますが、そこもそのまま直進します。)
3) ガソリンスタンド「ENEOS」の手前の道(「東池袋」の交差点)を右折
4) 道の左側、「パレス南池袋」と書かれた建物の、6階603号室です。(お寿司屋さんの隣、セブン-イレブンの斜向かいにある、グレーの建物です。1Fに、音楽スクールや歯科医院が入っています。)

・東池袋駅(有楽町線)からお越しの場合:徒歩4分
1) 2番出口をでて地上に
2) 目の前の大きな通りがあるので、横断歩道を渡り、右へ。
3) ガソリンスタンド「ENEOS」があるので、その奥の道を左折。
4) 以下、上記と同じです。

その他、雑司が谷駅(副都心線)からもお越しいただけます(徒歩10分)

§ お問合せ
toshihiro_oda@kurotake.net 宛にご連絡ください。
その際、どういった指導内容をご希望か、ご説明いただけるとありがたいです。

答えを出したいのか、正解したいのか。

子供が問題を解いているのを隣で見ていると、“正解する気”がないのではないか、と思うことがよくある。
やる気がない、というわけではない。真面目に取り組んでいない、というわけでもない。
やる気はあって、真面目に取り組んでもいるのに、ただ“正解する気”がない。

例えば、子供が「実力的には解けるはずの問題」を間違えるとき。
解き終わってバツがついてしまってから振り返ってみると、単なる“ミス”に見えることも多い。
そうすると、次から気をつけようね、で終わってしまう。
しかし、解いている様子を隣りでよくよく見ていると、実はその途中、一瞬動きが止まることに気づく。

どこかでミスをしたまま解き進めていると、多くの場合、「何かおかしい」と感じる瞬間がある。
解いている子供の動きが止まる瞬間、というのは、その「自分が“間違えた”ことに気づいた瞬間」である。
本来ならば、その時点で一度立ち止まり、もう一度さかのぼってやり直す必要がある。
だが、多くの子は“気づかなかった”ことにしてそのまま先に進んでしまう。そして、予定調和のごとく“間違った答え”を導き出す。

自分の間違いに気づいたとき、そこでどういう道を選ぶか、というのはなかなか難しい問題である。
それまで解いてきたものを白紙に戻し、もう一度解き直す、というのは、正直なところとても面倒くさい。そしてそれだけでなく、“問題解決”の瞬間が遠退くことになる。
算数・数学の問題を解くとき、脳に大きな負荷がかかる。間違いでも答えを出してしまえば、その負荷からは解放される。
結局そこで起きているのは、「間違えてもいいから答えを出してこの問題から解放されたい」という思いと「解き直すのが面倒でも正解にたどりつきたい」という思いのせめぎあいである。
ここで”正解する気”が弱いと、「そのまま解き進める」道を選んでしまう。

とはいえ、正解する気が弱い、というのが責められるべきことかというと、別にそうは思わない。むしろ、それが普通だと思う。
普通、入学試験のようなテストを除いて、普段の学校のテストや家で問題を解いているとき、“正解”して得られるものはそう多くない。
もちろん、正解すれば嬉しいが、言ってしまえばそれだけである。
一方で、間違って失うものも、実はあまり大きくない。テストで悪い点を取ったりするだけである。または、多少親や先生に怒られるだけである。
いずれにせよ、算数・数学の問題を“正解”するために大きな労力を費やすことは、普通は割に合わない。

だから、それでも“正解”にこだわる子、つまり算数・数学のできる子、というのは、単に「問題を解くのが楽しい」というのではなく、「問題が解けないと死んでしまう」子なのだと思う。
“正解すること”にプライドやアイデンティティ、つまり“命”を懸けている子なのだと思う。
そこまでのものを賭けているから、天秤は“正解を目指す”ほうに傾く。
(思い返せば、自分の周りにはそういう人が多かったし、自分も昔はそうだったような気がするが、一般的に見れば「変な子」なのだろう。)

正解することにこだわりを持てるようになれば、算数・数学ができるようになるまではすぐである。
ただそうは言っても、そういうメンタリティをどうやって育んでいくか、というのはなかなか答えの出ない問題ではあるし、そもそもそんな「普通の子」を「変な子」にしてしまってもいいのか、というのも永遠に解決されない論点ではある。

小学校のころの先生の話。

先日、ちょっとしたきっかけがあって、ふと自分が小学生だった頃の担任の先生のことを思い出した。

私は、小学校のころから勉強はよくできた(自分で言うのもなんですが)。そして、ありがちな話だが、結構生意気だった(これは今もかもしれないけど)。
たぶん、「ちょっと勉強ができるからっていい気になりやがって」と思っていた先生も、まあそれなりにいたのだとは思う。
でも、その先生はそんなことは言わず、むしろいい意味で私を特別扱いしてくれていた(その先生にとっては、きっと一人ひとり“特別扱い”していたんだろうなぁ、と今になって思うが)。

その先生とのエピソードで覚えていることが3つある。

一つ目は、私が“置き勉”していた話。
小学校高学年に入って、教科書などが増えてくると、私はそれを全部学校に置いてきていた。理由は単純に、重たいから。そしてついでに、学校の勉強は別に家でやらないから、というのもあった。
他にも“置き勉”していて注意される子はいたが、私は別にそれをとがめられなかった。宿題は学校にいる間に終わらせていたし、時間割もきちんと前日の帰りに翌日の分を選別してまとめていた。
親との懇談では、「ここまでやるなら、まあいいでしょう」という話になったらしい。

二つ目は、テスト中に教室から出て行った話。これももちろん、「私が」である。
そのテストのときは、最初に先生が「90点以上取れる、と思ったら、そのままテストを提出して外に遊びに行っていいですよ」と言っていた。
それをそのまま受け取っただけ、という話ではあるし、先生も、別に「本当に出て行くと思わなかった」とは思っていなかったと思う。
だから別にその件で叱られた、ということではないが、しかしこの話を覚えている理由は、そのテストの点数が、実は90点ギリギリだったからだ。さっさと終わらせて、颯爽と外に飛び出していったわりに、である。
しかも、少しおまけをしてもらっていた。×でもよさそうなところを、減点ですませてもらっていた。先生も、だいぶ悩んだのかもしれない。
生意気な鼻っ柱をへし折るチャンスでもあっただろうに、先生は私のプライドに配慮する選択をしてくれた。
私がそれを「ラッキー」と思うような性格でなく、「手心を加えてもらっちゃったな」と思う性格だから、というところまで理解してくれていたのだろう。

三つ目は、先生の代わりに授業をした話。
私にとって、学校の授業は知っていることばかりであまり面白くなかった。先生もそれは心配してくれていたのだと思う。
だからなのだろうが、たまに先生は「先生はうまく説明できないから、代わりに小田に解説してもらおうか」みたいなことをおっしゃった。
おだてられて調子に乗った私は、他のクラスメイトに対して一生懸命説明したのを覚えている。それはきっと楽しかったのだと思う。
今でもなんだかんだで人に教えるのが好きで、こういう仕事をしているのは、その先生のおかげかもしれない。

個性を大事にする教育、というのは、結局のところ、引き出しの多さと懐の深さだと思う。
教育現場で昨今重要視されているそれが、なかなかうまくいかないのも、単純に難しいからだと思う。
自分もその先生みたいになれたらいいな、と思うことはあるが、まだまだ先かな、とも思う。

「考えなさい」という呪い。

最近、「考えなきゃ病」にかかっている子供が多いように思う。

難しい問題を見ると、すぐに“考え”出す。しばらくそのまま硬直しているので、大丈夫?と聞くと、「今、考えてる」と言う。そして、さらにもうしばらくそのままにしておくと、最終的には「分からない」と言う。

そういう子にはまず「やってごらん」と言うことにしている。数値をあてはめてみたりとかでもいいから、とにかくやってごらん、と。その子は最初は戸惑いながらも、そして面倒くさそうに、いくつかの数値をあてはめてみたりする。
いくつかあてはめていくうちに、「あっ」と気づき、そのうち答えにたどりつく。

その問題は、その子にとって「解けた」はずの問題なのである。そう、“考えよう”とさえせず、最初から手を動かしていれば。

私はよく、次のようなたとえ話をする。

目の前に、見た目が全く同じ宝箱が3つあります。そのうちの1つには宝が入っていますが、残りは空っぽです。さて、あなたはどうしますか。

たいていの子供は、すぐに「全部あけてみる(全部持って帰る)」と答える。もちろん、それが正解。
たとえ話なら迷わず正解するのに、算数の問題を前にすると、そうはいかない。

宝箱の外見を、注意深く観察し始める。どこかに違いがないか、じっくりと“考え”始める。
もちろん何の情報も得られず、わからない、どうしよう、と諦める。
もしくは、ほんの小さなキズを見つけてきて、「これが正解の宝箱だ!」と決めつける。
(その場であけてみて、空っぽであることを確認する子はまだマシで、ほとんどの子供は、その“正解の宝箱”だけを意気揚々と持ち帰る。そして、家に帰ってから空っぽだということに気づくのだ。)

とても滑稽な話である。しかし、現実的にはそういう子が多い。

実際のところ、算数の問題だと、宝箱の数は100個とか1000個くらいなのかもしれない。それくらいの数だと、“考え”て候補を絞ったほうがいいんじゃないか、と思いたくなる気持ちもよく分かる。
しかし、算数の得意な子は、それでもやっぱりあけていく。片っ端からあけていく。
あけた宝箱の中に、たまにヒントが入っているのを知っているからだ。そうやって入手した手がかりによって、残りの宝箱を絞っていく。まずはやってみて、ヒントを手に入れて、そこで初めてその情報の意味や使い方を“考え”る。

効率的な解き方があるのに、それに気づかず一生懸命試行錯誤している子がいるとする。そういう子を見ていると、もっと“考えれば”楽に解けるのに、と思ってしまう気持ちもわからないでもない。
しかし、「考えれば気づくだろう」と思うのは、大人がすでに知っているからというだけ。そう思っている“大人”のほうだって、知っていなかったらいくら考えてもきっと何も思いつかない。

「考える力が大事」ということは、まあ間違いではないと思う。しかし、「考える」という言葉の意味は、もう少し慎重に受け止めてほしい。安易に子供に「考えなさい」と言ってしまうと、それは非常に強力な呪いにもなりうる。

子供が試行錯誤しているときは、たとえ非効率的に見えても、最後まで温かく見守ってあげてほしい。むしろ、“考えよう”として手が止まっている子がいれば、「やってごらん」と言ってあげてほしい。
解き方を“考え”つく子のほうが算数ができるのでは、というイメージがあるかもしれないが、最終的に「算数の得意な子」になれるのは、自分の手を動かせる子である。

夏休み特別日程のご案内(2014・夏)

数理学習研究所、個別指導は、夏休み期間中下記の日程で行います。
夏休み中のみのご参加も大歓迎です。

7/21 7/22
9:00~12:00
13:00~19:00
7/23
9:00~12:00
7/24
9:00~12:00
7/25
9:00~12:00
16:00~19:00
7/28
9:00~12:00
7/29
9:00~12:00
13:00~19:00
7/30

13:00~19:00

7/31
9:00~12:00
8/1
9:00~12:00
13:00~19:00
8/4
9:00~12:00
13:00~19:00
8/5
9:00~12:00
13:00~19:00
8/6

13:00~19:00

8/7
9:00~12:00
8/8
9:00~12:00
16:00~19:00
8/11 8/12 8/13 8/14 8/15
8/18 8/19
9:00~12:00
8/20
9:00~12:00
8/21
9:00~12:00
8/22
9:00~12:00
8/25 8/26 8/27 8/28
9:00~12:00
8/29
9:00~12:00

※ 9月1日以降は通常通りの日程で行います。(通常日程のご案内

§ 形式
個別指導(同時に最大で3名まで)

§ 料金
入会費・年会費:なし

 小学5年生まで 2500円/時
 小学6年生・中学生 3000円/時
 高校生 3500円/時
 その他 5000円/時

(それぞれ、税別です。また、教材費は市販のものを使う場合、実費を徴収させていただきます。)

§ アクセス
豊島区南池袋2-47-6 パレス南池袋603

・池袋駅(JR,丸ノ内線,有楽町線,副都心線)からお越しの場合:徒歩8分
1) JR池袋駅東口、または、地下通路35番、または、43番出口を出る
2) 池袋駅を背に、大通りを直進(右側に交番がある大きな道です。少し行くと大きな交差点(東口五差路)がありますが、そこもそのまま直進します。)
3) ガソリンスタンド「ENEOS」の手前の道(「東池袋」の交差点)を右折
4) 道の左側、「パレス南池袋」と書かれた建物の、6階603号室です。(お寿司屋さんの隣、セブン-イレブンの斜向かいにある、グレーの建物です。1Fに、音楽スクールや歯科医院が入っています。)

・東池袋駅(有楽町線)からお越しの場合:徒歩4分
1) 2番出口をでて地上に
2) 目の前の大きな通りがあるので、横断歩道を渡り、右へ。
3) ガソリンスタンド「ENEOS」があるので、その奥の道を左折。
4) 以下、上記と同じです。

その他、雑司が谷駅(副都心線)からもお越しいただけます(徒歩10分)

§ お問合せ
toshihiro_oda@kurotake.net 宛にご連絡ください。
その際、どういった指導内容をご希望か、ご説明いただけるとありがたいです。

守りの算数(数学)。

ご無沙汰しております、最近事務所でラジオ体操を始めた小田です。
体を動かすのは大事!という話なのですが、特に体をひねる動きは普段の生活の中ではあまりやらない動きなので、筋肉のほぐされる感じがして気持ちいいですね。斜め後ろに大きく!

さて、今日は少し朝早く起きて、W杯オランダVSアルゼンチンを見ていました。
正直あまりW杯には興味がなかったのですが、ブラジルが大敗した、という話を聞いて少し興味を惹かれたので、ちょっといろいろと調べてみたんですよ。
そもそも私は、サッカー選手のポジションで言うとゴールキーパーが好きで、今のドイツは(も?)ゴールキーパーがすごいらしい、ということを聞いたので、決勝はドイツを応援することにしました。
ついでに、オランダにもなにやらすごいゴールキーパーがいる、という噂だったので、今日はオランダが決勝に勝ち上がってこないかなぁ、と応援していたのですが、残念ながら負けてしまいましたね。

華麗なシュートを決めて点を取るのもかっこいいですが、一方でゴールを守り切る、というのも大事だと思うのです。これはまあ個人的な趣味の問題だとは思うのですが、瞬間的に輝くよりも、地味な仕事を丁寧に積み上げる、というほうが好きです。
それは少し自分が算数や数学をやるときの方針にも似ていて、難しい問題を華麗に解くよりも、どんな問題でも泥臭くても確実に解く、というのを重視していた気がします。
まあ、目標として中学受験や大学受験があった以上、当日の調子の良し悪しで点数が上下するようだと困る、という現実的な理由もありましたけど。
子供に教えるときも、どちらかというとそういうことを大事にしているような気がするなぁ、と思います。

secret base。

ご無沙汰しております、先日郵政博物館に行ってきた小田です。
そこには世界の切手コーナーがあるのですが、一緒に行った音楽好きの友人が作曲家切手を探し始めたので、対抗して数学者切手を探してみました。名前が書かれているとわかるのですが、顔だけ見てピンとくる人はそう多くありませんね。
しかし数学者の切手を集めてみるのも楽しいかもしれないな、と少し思ったのでした。

そんなこんなで、ついに事務所開設です!

デスクを組み立たり椅子を組み立たりデスクを組み立たり椅子を組み立たりして、ようやくひと通り仕事のできる形に落ち着きました。(奥のダンボールが積んであるところは、本棚が入る予定です。)
事務所と言いつつ、なんだか秘密基地をつくっているような気持ちで少しわくわくしているのですが、あまりはしゃぎすぎて、息切れしないようにはしたいと思います。
それはそうと、この事務所、せっかくなら数学感あふれる感じにしたいんですよね。数学者の肖像画を飾るとかどうでしょう。音楽室に作曲家の肖像画が飾ってある感じで。切手集めの件もそうですけど、そういうミーハーな感じを全面に押し出した空間もいいかもしれないな、と思う今日このごろです。

自分の城をもつ。

ご無沙汰しております、ついにXPのパソコンを処分した小田です。
鳴かぬなら、殺してしまえ、なんとやら……というのは冗談ですが、ずいぶんと長い間使ってきたので、OSを入れ替えようにも全体的にスペックが足りなくなっていたのです。ディスプレイの方も、既に10年以上使い続けてきたものなので、これを機にお役御免にすることにしました。今までお疲れ様でした。

ところで話は変わって、むかしむかし琵琶湖のほとりには長浜城というお城があったんですよ(今も模擬天守がありますけど)。
この長浜城、豊臣秀吉が初めて城持ちの大名になったときに造った城なんです。そして、領国経営を意識した最初の近代城郭、と言われたりもします。
織田信長のもとで働きながら、自分が城を持つならこうしたい、とかいろいろと考えていたのだと思います。もちろん、初めて城造りで未熟なところもあるのかとは思いますが、そんな豊臣秀吉が、未来を見据えていろんな想いを詰め込んだ城だと考えると、なかなかに興味を惹かれる城、城下町ですよね。
以前、滋賀旅行に行ったとき、長浜にも一応寄ったのですが、そのころはまだまだ城ビギナーだったので、安土城を優先して長浜では近江牛と鯖そうめんを楽しむだけで終わってしまいました。今から思うとすごくもったいないですね。今度ぜひまた行きたいと思います。

さて、そんなこんなで、近々自分のオフィスを持つことになりました。近々、と言いつつ、順調に手続きが済めば7月からなんですけども。ちなみに場所は池袋です。ここが私にとっての“長浜城”になるのでしょうか。
家賃の足しに、ということで、集団指導(個別指導を複数同時並行する形です。最大で2~3人までの予定)も行おうと思っておりますので、興味のある方がいらっしゃいましたらぜひご連絡ください。または、興味のありそうな方がいらっしゃいましたら、ぜひご紹介ください。

今後とも、ぜひぜひよろしくお願いいたします。

数学者の名前を覚えよう。

ご無沙汰しております、Siriさんに電源をオフにするように頼んだら断られてしまった小田です。iPod touchの音声入力の話ですが、電源オフは対応していないみたいです。「ええい、もう君はクビだ!」「社長、唐突な解雇は労働基準法に違反しますよ」というシチュエーションなのでしょうか。それとも「ねえ君、これちょっと電源切っておいてくれない?」「社長、それくらいご自分でされてはいかがですか?」というシチュエーションなのでしょうか。
全然関係ないですけど、電源オフのためのボタンの長押しって、ちょっと面倒くさくないですか。

先日から、生徒(小学6年生)が授業中に「ベルネ」「ベルネ」と言うので、何のことかさっぱりわからず適当に聞き流していたのですが、よくよく聞いてみると(というかノートを見せてもらったところ)、「ベルヌーイ」さんのことでした。
その子は「ベルヌイ」と言っていたようですが、歳のせいか、よく聞き取れていなかったようです。
まあ私の耳の性能についてはどうでもいいのですが、小学校高学年くらいの男の子って、なぜかカタカナの単語が好きですよね。
算数を教えていても、定理や法則の名前だけ覚えていて、中身を聞いたらさっぱりわかっていない、という場面もよくあります。
それはそれで困るのですが、一方で、数学者の名前から覚えていく、という興味の持ち方もありだと思う今日このごろです。
前々から度々言っていて、全然進んでいないですけど、というか独力で進める気はあんまりないんですけども、やっぱり数学者トランプはいつか作りたいなぁと思っています。
それぞれのカードに、数学者の肖像+一言(or数式)を書いて、付録の小冊子で1人1ページずつ紹介していくとか。
それくらいなら、このホームページ上でもできそうな気がするので、気が向いたらやってみるかもしれません。

そんなこんなで、ずいぶん今更感もありますが、東急セミナーの第12回の授業内容をアップしました。
それも含めてですが、このホームページ上にもっといろいろ数学的なコンテンツを充実させていきたいところです。頑張ります。

夢の国と数学。

ご無沙汰しております、電車の中で数学の本を読みながらFacebookをチェックしていたら、いつのまにか乗り過ごしていた小田です。
気づいたときはちょうどFacebookをチェックしている最中だったのですが、ここは「数学の本を読んでいたら乗り過ごした」ことにしておきます。キャラ作りって大事ですよね。

そういえば昔、初めてディズニーに行ったとき、ゴミを捨てたいタイミングで都合よくゴミ箱と遭遇するシステムに感心した覚えがあります(後日調べてみたのですが、どうやらそういうふうに計算されてゴミ箱が配置されているらしいですね)。
なぜ唐突にそれを思い出したのかというと、その電車の中で読んでいた数学の本というのが『ケプラー予想』という本だったんですけども、その本の中に「被覆問題」というテーマがありまして。
要するに、ある平面を決まった大きさの円で隙間なくうめつくす(円同士は重なってもよい)ときに、なるべく重なりが少なくなる配置を考える、という話です。現実の問題に落としこむと、たとえば消火栓の配置などを考える、という課題になってきますが、ディズニーのゴミ箱の配置も似たようなものかな、と思ったのです。
ディズニーを設計した人も、そんな“数学”をやっていたのかなぁ、と。

何のために数学を勉強するのか、というのは永遠の議題だと思いますが、結局数学は何に使おうと思っても使える気がしますし、逆に、何にせよ納得の行く最適解を得ようと思ったら数学が必要になってくるような気もします。
私もそのうち、身近な事象と数学を結びつけた本を書く機会もあると思うのでが、そのときは、数学的に有名なテーマをドヤっと紹介するよりも、身近な問題の解決にわざわざ数学を持ち込んで解決するような感じの本にしたいなぁ、と少し思いました。